丸尾長顕と深沢七郎の愛憎

a0248606_8544114.jpg 大谷能生『持ってゆく歌、置いてゆく歌』は「音楽で読み解く新たな文学論」として、冒頭にギタリスト、深沢七郎が採りあげられている。なかに深沢七郎をめぐる人間関係が図示されていて眺めているといろんなことが思いあわされて興味深い。
 たとえば深沢と「共演」という線でつながるのは日劇ミュージックホールのトニー谷、団鬼六、そしてとなりにある「師事」の線には丸尾長顕がいる。
「師事」とは別に「先生たち」という線があり、そこには正宗白鳥、石坂洋次郎、井伏鱒二、谷崎潤一郎がいる。
著者の大谷氏が、深沢と丸尾の関係が破局に終わったのを踏まえて図示したとは思われないけれど、図らずも「師事」と「先生たち」とは二人の微妙な関係を伝えている。
 『楢山節考』が「中央公論」に掲載されたのは昭和三十一年十一月号、『風流夢譚』はおなじく昭和三十五年十二月号で、このかんに「丸尾センセイから学ぶものは何もない」と深沢が言うほどに両者の関係は悪化していた。ここでの「師事」とはその程度であり、「先生たち」とは違って日常頻繁に接しているために愛憎の度合は濃くなるいっぽう金品をはじめ俗世のもろもろが絡まりやすい。
 丸尾にすれば手取り足取りというほどに教え込んだ弟子が「丸尾センセイから学ぶものは何もない」と言いながら、「先生たち」を崇めたてまつる姿を見れば憤懣やる方ない思いを抱かざるをえなかったのではないか。丸尾自身がかつて作家志望だったという事情がよけいに感情を複雑にしただろう。
 ところで『持ってゆく歌、置いてゆく歌』には、深沢が「先生」がたのうち正宗白鳥と石坂洋次郎に「プレスリーが出現したということはキリストが再現したことと同じだと思います」と語り、両先生ともイエスともノーとも返事はなかったけれど、これは自分の説明がまずかったからだと思うとのエピソードが引かれている。
 丸尾によれば深沢は正宗白鳥宅を訪れ便所の拭き掃除をして白鳥を驚かせたり、石坂洋次郎宅の前の木によじ登りこそ泥とまちがえられたりしたことがあった。いずれも知遇を得るための非常識かつ涙ぐましい努力だった。丸尾の目には、プレスリーとキリストを結びつけるなど、耳目を聳動させるための戦略としか映っていなかった。
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by yumenonokoriga | 2013-10-15 08:53 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

Commented by saheizi-inokori at 2013-10-15 09:41
深沢が「知遇を得るための非常識かつ涙ぐましい努力」を誰かに指摘されたら即座に絶交でしょうね。
世話になり尊敬していた佐久の病院長が銅像を建てさせたと聞いたとたん用意した土産も捨てさせ絶交したというようなことを嵐山光三郎の本だったかで読みました。彼の内心の葛藤は意識されていたのかなあ。
Commented by yumenonokoriga at 2013-10-19 14:24
海外でお便り拝見しています。Wi-Fiフリーのホテルにようやく来て、読ませていただきました。嵐山本では深沢が嵐山氏を相手に丸尾を罵倒する場面がありますね。