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昭和二十九年二月一日

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 洋画、漫画、アニメーション、イラスト等で多彩な活動を展開してきた久里洋二は、昭和三十三年(一九五八年)に油絵「鎌倉カーニバル」で二科展特選、同年漫画『久里洋二傑作集』で第四回文藝春秋漫画賞を受賞して世に出る地歩を固めた。
 文春の賞を受賞した際のインタビューで久里洋二は「あなたの師匠は?」との問いに横山泰三と丸尾長顕の名を挙げて、とくに丸尾については「社会学を学んだ」と答えている。もちろん丸尾は洋画や漫画を描くことはなかったが、たまたま知り合った久里を二科会の金沢重治の門下に入れて授業料を出してやり、またナチス勃興以前のドイツの漫画を与えて研究を促したと、これは丸尾が「楢山節考ざんげ(ラ・エキスピヤーシオン)」で述べている。
 久里洋二は二0一二年にこれまでのツイートから抜粋し、一部修正をくわえた記事を集めた『ボクのつぶやき自伝@yojikuri』(新潮社)のなかで「日劇MHのリハーサルを覗く。はみ出し円形ステージは、丸尾先生の発案。ふと後ろを見ると、紺の和服を着た男性が立っていた。青白い顔、すらりとした姿は侍のイメージ。『君がクリくんかい』と言った。丸尾先生に紹介されると、有名な小説家の村松梢風だった。そしてひとこと『女は、いい』と言った」と述べていて、セリの導入が丸尾長顕の主導だったことを証言している。
 この装置の犠牲者のひとりに新谷登、のちの泉和助がいて、セリ中央が下りているところへ落ちて足を痛め、およそひと月の休演を強いられた。昭和二十九年初春公演「花は絢爛と夜開く」のあいだの二月一日の出来事で、『古川ロッパ昭和日記』によると、この日はたいへんな一日だった。ロッパとともに映画出演していた柳家金語楼が新東宝の撮影所に来るとちゅう、同乗していたジープが電信柱にぶつかりおでこと足を打って入院した。夕方ミュージックホールへ行ったロッパがその件を丸尾長顕に話すと、すでにそのニュースは知っていて、おまけに「今日は椿事続出でなあ」と言う。事情を訊くと、新谷登がセリの穴へ落ちて足を挫いた、さらにミュージックホールへやって来た小野佐世男が脳溢血で倒れたと言うのだった。
 ロッパは七時のNHKニュースで小野佐世男の訃報を聞き、そのあとNHKの公開番組「ジェスチャー」で白組キャプテン金語楼の代役を務めている。

by yumenonokoriga | 2013-12-20 09:14 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)