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永井荷風「踊子」

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 永井荷風が浅草へ毎日のように出かけるようになったのは昭和十一年あたりからで、なじみとなっ
たオペラ館の楽屋で過ごすうちに作曲家や歌手、踊り子たちと親しくなり、この劇場のために「葛飾情話」という台本を書いた。
 『断腸亭日乗』昭和十三年二月六日には夕方眠りから覚めて掃除、食事のあと電車に乗ってオペラ館へ行き「半裸体の踊子の姿老眼を慰むること甚だし」と楽しい感想がある。しかし戦時下オペラ館閉鎖とともにこのたのしみは失われた。
 こうした経験をもとに、戦時中発表のあてもなく書かれ、戦後になって刊行をみた荷風の小説に「踊子」がある。シャンソン座というレビュー劇場の楽士である「わたし」のところへ踊り子で妻の妹千代美が田舎から出てきて寄宿する。義兄と関係を持った千代美はやがて妻の勧めで踊り子となり、踊りの先生とも関係し、父が義兄か先生かわからぬ子を生んで劇場を引き、芸者や妾を稼業とする。その経緯を「わたし」が独白するという作品で、戦前の浅草の情緒がレビューというあでやかなな彩りを添えてよく表現されている。
〈興行中昼よりも明く煌々と輝きわたつていた燈火は悉く消え、鎖された劇場の表口、また映画の写真を飾りつけた窓だけに残されてゐる薄暗い灯影が、稽古に往来する男女の姿を影絵のやうに照すばかり。時には映画館の高い軒先に梯子をかけて、職人が大勢、飾りつけた絵看板を新しいものに掛け替へてゐます。夏は稽古のあひ間ゝを窺つて、シヤツ一枚になつた役者や女優踊子どもが、幾組となく物陰を見つけ、思ひゝの恋をしてゐると、楽屋口の並んだ横町の彼方から聞えて来る稽古の歌とピアノの音が、その場の伴奏をつとめます。〉
〈シヤンソン座の楽屋口へ来ると、歌手と踊子とが四五人、シユミーズ同様の稽古着をきて、しやがんだり立つたり、夜ふけの風に涼んでゐます。背景を出し入れする舞台裏の非常口が少しあいてゐる隙間から、舞台の灯影と歌や音楽。(中略)若い振付師が、二、二、三、四。三、二、三、四、と踊の拍子を取る声が聞こえます。〉
 いずれも派手な舞台からはうかがいにくい楽屋の一面がしるされている。稲村隆正の写真集『踊り子』にある日劇ミュージックホール楽屋でのジプシー・ローズの写真には上の文章が添えられている。なにほどか日劇ミュージックホールの楽屋と相通ずるものがあったのだろうか。

by yumenonokoriga | 2013-12-25 09:48 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)