正邦乙彦、高清子、ジプシ・ローズ

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 正邦乙彦は眼の色が変わるほどジプシー・ローズに執着した。このとき妻の高清子は本気で嫉妬したという。女優のプライドをかなぐり捨てて正邦のいそうな横浜セントラル劇場、新宿セントラル劇場、浅草常盤座等を駆けずり廻った。やがて彼女はあきらめたが、正邦がジプシーという素材を見つけスターに磨き上げた手腕は認めざるをえなかった。
〈男と女の関係より、正邦自身が果たせなかった超一流スターの夢をジプシーを通して完成しようとしている意欲を、正邦のなかに発見して清子は気持半分、許してもいい、と思うようになっていた。生活費を渡しにやってきた正邦に「あんたにはもったいない女だよ」と軽口をたたくようになった。〉(小柳詳助『G線上のマリア』)
 高清子をひいきにしていた永井荷風がこの事情を知っていたとは思えないが、正邦、清子、ジプシーによるドラマは荷風のすぐ近くで演じられていたのである。
 昭和三十九年(一九六四年)十二月十八日、ジプシー・ローズは代々木のアパート三階から転落し幡ヶ谷の黒須病院に救急車で担ぎ込まれるという出来事があった。腰の骨が折れ、腎臓が破裂し、再起不能といわれながら強靱な体力で半年後に退院した。入院中に、正邦は入院費稼ぎもあり外人ストリッパーを引き連れて地方巡業に出かけている。その間、付き添いを正邦の母カルが担当するいっぽう、清子は週に何回か病室の掃除を受け持った。
 この入院中の挿話は十八年にもわたり四人の子供を母と妻に押しつけて、男は別の女と同棲しためずらしい一家ならではの奇妙なエピソードであろう。もっともこのとき高清子はジプシーを正邦の持ち駒のスターと割り切っていたと小柳前掲書にはある。
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 筒井康隆氏が「週刊新潮」二0一三年七月四日号で高清子について情報提供を求めていて、彼女について書きかけていた当コラムを未定稿のまま編集部に送ったところ「新潮45」二0一三年十月号筒井康隆「高清子とその時代」で筆者および本コラムが紹介されていました。筒井さんありがとうございます。 
「高清子とその時代」には彼女が出演した映画が丹念にたどられていて、筆者としてはぜひスクリーンでお目にかかれるよう願っています。
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by yumenonokoriga | 2014-01-20 09:01 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)