トニー谷の傲慢とさびしんぼう

a0248606_932297.jpg 色事師のたたずまいを露悪的に漂わせたトニー谷は、それだけで世間の反感を呼びやすいが、どうも楽屋内でも評判は芳しくなかったようで、共演者、スタッフ相手に威張りちらし、わがもの顔に振る舞ったことへの反感は大きかった。
 人気絶頂期の傲慢は柳家金語楼や古川ロッパ等先輩芸人への敬意を欠いたため喜劇人仲間からも疎んぜられた。無名時代の花登筺はOSミュージックホールで幕間コントの構成演出を担当していて、人気絶頂のトニー谷が出演するというので、徹夜で新しいギャグを考えて脚本を持参したところ彼は「客は君の脚本でくるのじゃない。トニー谷の名前で来るのだ。脚本なんていらないよ」と花登の目の前で脚本を破り捨てたという。 (花登筺『私の裏切り裏切られ史』)
 村松友視『トニー谷ざんす』に、昭和二十年代後半つまりトニー谷の全盛期のころのエピソードがある。語るのは村田正雄という当時トニー谷といっしょに舞台に出演していた役者である。
〈当時ミュージック・ホールにね、吾妻京子という僕が惚れていた踊り子がい ましてね。大阪のミュージック・ホールに行ったとき、同じヌード・ダンサー の伊吹マリが仲を取り持ってくれた。で、みんなで「大和」っていうお茶屋に 招待されて行ったとき、伊吹マリが「京ちゃん、宿で待ってるから」と大阪へ 行くといつも泊る「北八」という宿で、吾妻京子が僕を待ってるっていうわけ ですね。でも、招待された席だし、なかなか席を立つことができなくって、そ うしたらいつの間にかトニーがいなくなっちゃった。「北八」に行っちゃって ね、僕を待ってる彼女をしちゃって帰って来るんですよ。伊吹マリと僕の話を 聞いてたんですね。そういったことを平気でやるんですよね、ええ。〉
 こうして傍若無人の話にはこと欠かないトニー谷だが、これらの振る舞いを世渡りの下手なさびしがりやの所行と見ていたのがメリー松原で、『トニー谷ざんす』で彼女はこんなふうに語っている。
〈本人は非常に神経質ですよ、本質的に。それでさびしがりやで、涙もろくて。人に嫌われるのは、いわゆる日本の芸能界というのは封建的で、先輩・後輩のしきたりがうるさいでしょう。そういうのを一切無視しちゃった人なんです。だから世渡りが下手なんですよね。〉
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by yumenonokoriga | 2014-02-19 08:48 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)