正邦乙彦と吉行淳之介の対談

a0248606_112478.jpg kawaさんという方から「正邦乙彦氏は吉行淳之介と対談しています。(アサヒ芸能連載・「粋談」・文庫「浮世対談」?吉行には「踊り子」(1981年)もあります。」というコメントをいただいた。
 「踊り子」は吉行淳之介の著書『私の東京物語』に収められていて、本ブログでも資料として用いているが、正邦と吉行の対談は知らなかったので調べてみたところ「アサヒ芸能」誌上で昭和四十二年十二月八日に「ヌードは遠くなりにけり」と題して行われていた。
 その道で名高い方々を迎えた一連の対談は集成されて昭和四十六年に三笠書房から『吉行淳之介対談 浮世草子』として刊行され、のち昭和五十一年に番町書房が『粋談』と改めて出している。筆者の手許にあるのは昭和五十五年刊の集英社文庫で書名は三笠書房版におなじ。kawaさんありがとうございます。
 帝都座の額縁ショーで戦後第一号のハダカになった甲斐美春は日劇の案内ガールをしていて、一日八百円のギャラでスカウトしたと正邦が言えば、吉行が、ぼくはそのころ、女学校の講師で一週に二度出講して月給が四百円だった、それくらいハダカはたいへんだったと応じる。
 そうして、あの時代、気がよくて、人がよくて、ある意味ではバカで、またバカでないとハダカにはなれなかった、そのバカが男にだまされ、ヒロポンを打ち、ポン中になるといった時代の断面を正邦は語っているが、行き着くところはジプシーローズで、対談はこんなふうにつづく。
 〈吉行「気はよかったんでしょう」
 正邦「気はいい。こんなに気のいいコはなかったですね。もう天衣無縫という か、赤ん坊みたいだった。これはだれにも話したことはないけど、ジプシーに は、乳首が四つあったんです。
 吉行「ふつうの二つのほかに。小さいやつが・・・・・・。」〉
 日比谷の日劇ミュージックホールが閉場したとき正邦乙彦はNHKの特番に出演してジプシーローズの思い出を語っていた。『対談浮世草紙』の紹介に大正四年(一九一五年)大阪市生まれとある正邦のその後の消息は知らない。
 どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。
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by yumenonokoriga | 2014-02-20 08:53 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)

Commented at 2014-03-01 16:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yumenonokoriga at 2014-03-02 04:53
☆KAWAさま
正邦氏の経歴については大まかなところは知っていますが、とくにミュージックホールが閉場して以後から現在までご存命かどうかを含めて知らないものですから書いたのですが、精確を欠いていたようです。今後ともよろしくお願いします。