夕雨子の哀歓

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 三浦哲郎『夕雨子』の踊り子は盛り場のステージで酔客を相手に裸身をさらす流浪の芸人だ。彼女のステージでの名前は立川さゆり。
 北海道のS町の華やかとはいいかねるナイトクラブのステージに立つ夜、クラブのマスターはホステスたちに彼女を「こちらは今夜からのショウに出演するダンサーの立川さゆりさん。(中略)日劇ミュージックで(ホールとはいわないが、そういえばウロ覚えの地方人たちが有難がるからで)魅惑のダンサーと呼ばれている一流の踊り子さんです」と紹介した。
 夕雨子のモデルが水原まゆみで、のちにミュージックホールのダンサーとなったことはここでは関係なく、日劇ミュージック云々もマスターの口からでまかせである。たとえ東京の有名な劇場で踊っていたとしても地方のクラブではなんの利点もない。ギャラが高いのだからたまにはAでやってくれてもいいではないか、とくる。業界でAはオールヌード、Bはセミヌード、Cはヌードではなく踊りを見せるダンサーとの由。
 夕雨子はとてもAで踊る気にはなれない。それは勘弁してほしいと頼むと、ならばステージのあいまにはなるべく客席へ出てくれと催促される。つまりホステスとしても働けというわけだ。北の海を鬱陶しい気持で見つめながらる二度と来るところではないとは思う。しかし所属するプロダクションがその気持を汲んでくれるとは限らない。
 重苦しさと煩わしさの避けられない身でもステージに立つときは別だ。
〈出の直前の数秒間、早打ちの胸の鼓動でいえばわずか十を数えるほどの間が、夕雨子には、おととしの春、初めて伊豆長岡のちいさな店で乳房をライトに曝したとき以来、一向に馴れない厭な時間であった。けれども、そんな厭な時間があるからこそ、セリが昇りはじめて、目も眩むようなライトを浴びながら闇のなかに浮び上がっていくときの恍惚は、えもいわれないのかもしれない。
夕雨子は、ただこの一瞬のために、自分は踊り子だと思うことがある。〉
 「この一瞬」のために東京では日々欠かさずレッスンを受けている。いずれ躰が衰えたとき、「この一瞬」が踊り子への未練を断ちがたくして煩悶するのではないかという気がする。
ここのところは作者は取材なしには書き得なかっただろうと想像している。水原まゆみの真情が吐露されていると思う。
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by yumenonokoriga | 2014-03-05 08:49 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)