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夢の残り香~日劇ミュージックホールの文学誌

「東京のイヴ」

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越路吹雪の宝塚最後の舞台は昭和二十六年(一九五一年)四月の「春のおどり」で、同年の六月帝劇の「マダム貞奴」に出たあと東宝に移籍した。東宝専属第一回として十一月に日劇、十二月に帝劇、二本の映画にも出演している。
 翌年には一月と四月に日劇、三月に日劇ミュージックホールに出演。ラジオ「愉快な仲間」(NHK)で藤山一郎、森繁久弥と共演、レギュラーとなった。もちろん映画出演も続いている。という具合に相当なハードスケジュールだ。
 多忙ななかでのミュージックホールへの出演だが、このときの公演は「東京のイヴ」、日劇小劇場改め日劇ミュージックホールのこけら落としだった。
 主演スターは越路吹雪のほかにジャズの水島早苗、バレエの松山樹子、NDTの福田富子など錚々たるメンバーが顔をそろえている。美術スタッフには岡本太郎の名もある。小林一三の意向でストリッパーを使わずスターの背景にはヌードのマヌカンを配置するようにした。
 昭和二十七年三月十五日、日劇ミュージックホールはハダカのない娯楽の殿堂として新装開場した。ところが四百人定員の観客席はパラパラと見物が座っているだけで無惨な不入りだった。四百人定員の劇場で一日三回公演だから千二百人の動員が目標のところへ二百人しか入らない。三月二十七日には三回合わせて百三十人という記録的不入りとなった。入場料指定席六百円普通席五百円も当時としては高かったがそれよりもショーの内容に問題がありというか、要はハダカを軽視したことが客を呼べない最大の理由だった。ひと月公演の予定を半月で打ち切り再度閉場して二回目の公演で再起を期すこととなった。
 「東京のイヴ」があえなく敗北して捲土重来を期す指揮には丸尾長顕があたった。再起の方針は第一にヌードの重視。「第一回の公演では、岡田君が上品に、ただ舞台の飾り物としてヌードを利用しただけである。それをもう少し活躍させようというのだ」と丸尾はのちに語っている。そしてもうひとつはコメディアンを活躍させようとするものだった。
 四月二十五日ミュージックホールは丸尾長顕構成、岡田恵吉演出「ラブ・ハーバー」で再出発した。入場料は値下げされて指定席四百円、普通席三百円。ただしこの舞台のプログラム上の主役はNDTの選抜チームである。このメンバーのなかにのちに女優となる根岸明美がいた。ハダカは復活したが未だ「ヌードの殿堂」ではなかった。
by yumenonokoriga | 2014-03-20 08:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌

いまはない日劇ミュージックホールをめぐるコラムです。

by yumenonokoriga
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