『一条さゆりの真実』

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 一条さゆりについては加藤詩子『一条さゆりの真実』(新潮社)というすぐれた長編ルポルタージュがある。著者は、晩年釜が崎で闘病生活を送っていた一条さゆりを知り、そこで聞き出した彼女の人生行路をしるしたうえで、関係者へのインタビューなどをつうじて語られた内容の真否を検証した。
 結果は副題に「虚実のはざまを生きた女」とあるように、一条さゆりの語った中味はほとんどといってよいほどに脚色されていたことを明らかにしていて、本書により駒田信二『一条さゆりの性』に基づく一条さゆり伝説は大きく修正されなくてはならなくなった。
 ならば彼女が日劇ミュージックホールを受けた云々のはなしはどうだったのだろう。たとえ嘘だとしても、どうしてそのことを語ったのか、彼女にとって日劇ミュージックホールとは何だったのかの問題は残る。
 一条さゆりがはじめてダンサーとして舞台に立ったのは銀座のキャバレー、ショーボートだとされている。昭和三十二、三年ころのはなしだ。ただし『一条さゆりの真実』によるとショーボートではダンサーではなくホステスだったらしい。
加藤詩子は「ショーボート時代に彼女が踊りに興味を持ち、ストリップのステージになるきっかけがあった」と推測している。その傍証として彼女のさまざまな虚言が挙げられており、ここにも日劇ミュージックホールが登場する。
 〈最初はホステスだったものの、後に試験を受けて専属ダンサーになったとも語っているが、このことの信憑性は乏しく思える。なぜなら彼女はその後日劇ミュージックホールでも踊っていたとしており、これはダンサーとしては゛エリートコース゛でもあるので、そこに彼女の願望が多少含まれていたとしてもおかしくはないからだ。〉
駒田信二『一条さゆりの性』で彼女は日劇ミュージックホールを受けたが身長が足りなかったため採用されなかったと語っていたのであったが、別のところではなんと日劇ミュージックホールで踊っていたと話していたのだった。
 日劇出身、宝塚の研究生まで行った、SKDのポスターを見てこの子とはいっしょに踊ってた・・・・・・虚言癖といえばそれまでだが、ここにははからずも一条さゆりの憧れが吐露されているように思われる。彼女がほんとうにやりたかったのはローソクショーなんかではなくて、レビューというショービジネスだったのである。   
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by yumenonokoriga | 2014-04-10 09:03 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)