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八丁荒し

a0248606_9594289.jpg 八丁荒し。「大辞林」に周囲八丁の寄席の客を奪うほど人気のある芸人という語釈がある。他の辞書にあたっても特に変わった説明はない。
 ところが丸尾長顕はこれに特殊な意味合いを持たせていて「芸能界には『八丁荒し』という言葉があって、自分の劇場を繁栄させるために、近辺の劇場をこわすことが早手回しとされていた。どの劇場でも看板にしているスターを引き抜かれたら、つぶれるにきまっている。お蔭で日劇ミュージックホールは、スターで一杯になった」(「新評」昭和四十七年三月号)と述べている。
 藤原佑好「日劇ミュージックホール「ヌードダンサー」という人生」(週刊新潮平成二十年三月六日号)に引用されているのを再引用させていただいた。
 他の劇場に打撃を与えるほどの引き抜きというのは一般の辞書の語釈とは異なる。芸能界ではふつうこういうふうに八丁荒しを用いているのかどうかはわからない。ひょっとすると丸尾長顕だけの思いこみなのかもしれないが、たしかに日劇ミュージックホールは丸尾の言う八丁荒しで隆盛の基礎を築いたのである。
 初期の三大スターである伊吹まり、ヒロセ元美、メリー松原はいずれも引き抜かれてミュージックホールへやって来たストリッパーたちだった。引き抜きの被害に遭ったのは浅草であり、その後も多くの踊り子が浅草からやって来た。直接には東劇バーレスクからやって来たジプシー・ローズも浅草の舞台に立っていた。小浜奈々子も高見緋紗子も浅草で踊っていた。こんなふうに浅草は八丁荒しの供給元だった。
 ところがトップスターに限っていえば小浜奈々子を最後に浅草の灯は絶えてしまう。アンジェラ浅丘は関西のOSミュージックホール出身だし、松永てるほはNDT育ち、朱雀さぎりは浅草フランス座の舞台に立ってはいるけれど一日でやめている、舞悦子、浅茅けいこ、岬マコも浅草で踊っていたとは聞かない。
 こうなると八丁荒しをしようにも荒らす先がない。娯楽の街としての浅草の地位がそれだけ低下したわけだが、これは真摯な競争を通じて活性化する機会が失われたという意味でミュージックホールにとってもよろこばしい事態ではなかった。八丁荒しがよいとは思わないけれど、荒らす対象がないのはもっと困りものである。

by yumenonokoriga | 2014-05-10 06:30 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)