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「花は絢爛と夜開く」余話

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 昭和二十九年元旦からの日劇ミュージックホール公演「花は絢爛と夜開く」に出演した古川ロッパは、一月九日四回の舞台を終えて帰り支度をして出ると、出口で浜口支配人に会った。ロッパが「どうだ」と訊ねると「もっとスピーディーにやってもらえればなおいい」との返事だった。日記にはこのやりとりとともに「トニー谷のスピーディーなしゃべりが基準になってゐるらしい。『老優の嘆き』といふやうなものが判る」と書かれている。
 おそらく戦後派の芸人のしゃべるスピードは戦前派に比較して平均するといくぶん速くなっているだろう。芸界だけでなく国民のしゃべる速度も。それと昔の映画から受ける印象では、ロッパの話しぶりはエノケンと較べるとだいぶん遅いからよけいにしゃべりの速度が意識されたのかもしれない。ロッパの日記からはトニー谷が日劇ミュージックホールにおけるスピーディーな口調を牽引していたことがうかがわれる。
 「花は絢爛と夜開く」が上演中の一月二十日のちの日本喜劇人協会の母体となる東京喜劇人協会が結成された。中心となったのは榎本健一、古川ロッパ、柳家金語楼で初代会長には榎本健一が就任した。これには丸尾長顕が積極的に係わっていて、もともとは丸尾の創意からスタートしたプランだった。
「丸尾が、喜劇人協会につき、金語楼との会談を十三日夜、持つことにしようといふ。」(一月四日)、「金語楼来る。丸尾長顕と三人で、楽屋、人払ひして話し出す。喜劇人協会を、エノケン・ロッパ・金語楼の三人が主となりて起すことの相談である」というふうにロッパ日記の随所に丸尾が根回しに動く姿が書かれている。異端児だとしても戦後派のコメディアンを代表する一人、トニー谷が人気を博したミュージックホールで戦前からの三巨頭が喜劇人協会の結成を相談する構図が対照的だ。
丸尾長顕は喜劇人協会の設立がミュージックホールにもたらした好影響を『回想 小林一三』のなかでつぎのように述べている。
〈先ず、ロッパ君がミュージックホールの舞台に立ってくれた。金語楼君も舞台に立ってくれた。エノケンも挨拶に立ってくれた。これがミュージックホールの格上げになったことは事実である。他の喜劇人もエノケンやロッパが出たのだから、俺は出ないとは言えなくなった。〉

by yumenonokoriga | 2014-07-05 09:59 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)