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「桃色の手袋」

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 昭和三十年(一九五五年)の日劇ミュージックホール最終公演は「桃色の手袋」で、十一月三日から十二月二十六日にかけての舞台は一部を村松梢風が手がけ、ここで彼が発掘した小浜奈々子がデビューした。
 公演リストにはゲストとしてシミキンとE.H.エリックの二人が挙がっているが、これには前年元旦からの「花は絢爛と夜開く」につづき、十一月三日から二十三日まで前半のレギュラーとして古川ロッパが出演していた。そのいきさつを『古川ロッパ昭和日記』に見ておこう。
 まだ出演が決まっていない段階でロッパは脚本を読み「何う見ても、俺に書きおろしたものでなく、パッとしない狂言廻しに過ぎない。わが特技発揮の余地なし」で丸尾長顕に断りを入れたが、ほかによい仕事もなく、金の必要にも迫られており、けっきょくは翻意して出ることになった。
 丸尾にしてみればいくらロッパが不本意であっても客寄せにはなるから離したくない。それに村松梢風とロッパとを並べると話題づくりになる。じじつ開演を二日後に控えた十一月一日には、稽古を見に村松梢風がやって来る、それに合わせて読売新聞の写真班も来ている。ロッパは「村松梢風を押さへてるところなんか丸尾は偉い」と書いているが、ロッパ自身も話題づくりの一環である。
 もっともこのときすでにロッパにとって状況は厳しかった。公演中のある日、米軍兵士二人と連れだって来た「日本女パンパン風二人」と劇場のエレベーターに乗りあわせたロッパは女二人の「古川ロッパって」「ロッパって有名じゃないの」「でも、もう落ちぶれちゃったんぢゃないの」という会話を聞かなければならなかった。ロッパは「いや実に嫌なものだった。『落ちぶれ』とは、それが正直なことばだけに応えへた」と感想を述べているが、このような、書きとめるのもいやになる場面をしっかり書いているのだからロッパはタフである。
 おなじ古手でもロッパは体調も災いしてエノケン、金語楼の後塵を拝していた。そんななかでのミュージックホール出演は「こんな嫌な思ひの二十日間は、未だなかった」という舞台だった。
 昭和三十年は石原慎太郎『太陽の季節』がブームとなった年で、新しい波が押し寄せて、古い諸々には厳しくなった時代の転換点だった。ロッパの思いの反面で、やがてトップスターとして君臨した小浜奈々子のデビューもミュージックホールに新しい波をもたらしていた。

by yumenonokoriga | 2014-07-10 09:05 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)