泉和助の最期

 泉和助が品川区東大井の木造アパートで亡くなっているのを発見されたのは昭和四十五年二月二日のことだった。二三日前から猫がしきりになくし、電気がつけっぱなしになっているので不審に思った管理人がドアをあけた。
 典拠としたのは矢野誠一『さらば、愛しき藝人たち』(文藝春秋)で、他方Wikipediaは遺体発見を二月一日としている。前者に従ったのは発見されたのが午前十一時、発見した管理人は石井とも子さんと具体的な記述がされていることによる。
 亡くなって数日が経過していて、命日は推定によるが両者ともに一月二十八日としている。直接の死亡原因について矢野本は脳出血、Wikipediaは持病の喘息による嘔吐物が喉に詰まったことによる窒息死とこちらも異なっている。
 持病の喘息が悪化し、くわえて肝臓、糖尿病などで入退院を繰り返しており、すでに二年ほど前から日劇ミュージックホールの仕事から手を引いていた。東大井のアパートには妻子と別れ猫一匹だいて転居した。ここへもときどき若いコメディアンが教えを乞いに訪れていて、そのとき和っちゃん先生はアイディアを惜しげもなく披露し、礼金は絶対に受け取らなかった。『さらば、愛しき藝人たち』にはこの挿話とともに、死の前日と思われる一月二十七日に大谷淳というコメディアンがパントマイムのギャグを教わりに訪れたときのことが記されている。
 謝礼は受け取らないので大谷淳はウイスキーを手土産に持参しており、和っちゃん先生はパントマイムを振付けてやったあと「せっかく持ってきてくれたんだから、のむか」と自分で封をきってストレートでのんだ。解剖された遺体の胃袋にはこのウイスキーが残っていた。
 日劇ミュージックホールの給料日、泉和助は借金取りが来ていると知ると、フィナーレの舞台から楽屋に戻らず、客席に降りて帰る人にまぎれて消えたというエピソードがある。借金は踏み倒そうとも、おなじコメディアンからの礼金は受け取らなかったのである。
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by yumenonokoriga | 2015-06-04 10:57 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)