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泉和助のノート

 泉和助は自分のつくったコントのネタを克明に大学ノートに記録していたという。思いついたコントはすぐにノートに書きとめておいた。昭和四十五年二月に歿したとき通夜の席でコメディアンたちが未使用のコントも相当数含まれたそのノートをひとしきり話題にしていて、石崎勝久が『裸の女神たち』に書きとめている。

 「和っちゃんは、一人住まいで急死して、三日もその死が知られなかったんだそうだ」
 「気の毒になあ。それにしても和っちゃんのネタ帳は、いったい誰がとるんだ?あれを手に入れれば、コメディアンとして一生食ってゆけるぜ」
 「もうとっくに、誰かが持っていっちゃったんじゃないかい。なにせ、和っちゃん先生のネタ帳は、生きてるうちからみんなにねらわれてたんだからー」

 石崎は泉和助の死に対して払われる関心よりも、ノートの行方への興味が勝った光景に芸能界のきびしさと芸人の執念をみて、ぞっとする思いだった。
ノートの行方はわからなかったが、アパートの机の引き出しに脱稿寸前の「ドサ廻り」という原稿があり、一部が矢野誠一『さらば、愛しき藝人たち』に紹介されている。
 「ギャグもまた真なり。ギャグがストーリーの芯にならなければ本当の笑い、いい笑いは生まれない。そのために藝人は真剣に勉強を重ねなければいけない。ぶっつけ本番では絶対に生まれないだろう」という文章からはギャグマンとして生き抜く決意とそれが果たせなかった悲痛が見て取れる。
 辻原登『円朝芝居噺 夫婦幽霊』は、母親の訃報に接し帰郷した作者が、土地の古本屋で亡き友の遺品にあった速記原稿を入手し、どうやら三遊亭円朝の幻の怪談噺「夫婦幽霊」と推しはかられたというところからはじまる。このスリリングな発端を読んだとき、ひょっとして泉和助のノートもいつか、どこかで発見されるかもしれないと思ったものだった。
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by yumenonokoriga | 2015-07-01 09:46 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)