2017年 03月 02日
美女へのまなざし
霊園で永井荷風の墓参をしたあと園内をあるいているうち竹久夢二の墓地の標識を見かけたので行ってはじめて手を合わせた。文京区弥生と夢二のふるさと岡山にあるふたつの夢二美術館には行ったことがあるが墓地の所在はこの日はじめて知った。
雑司ヶ谷霊園から池袋に戻り喫茶店で吉川英治『鳴戸秘帖』を読んでいると、阿波にはたくさんの美人がいるが、あの豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちとは、これはまた、クッキリと趣をかえた美人、太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさといったくだりがあり、夢二の描くスレンダータイプの美人が浮かぶとともに、丸尾長顕氏がよくこの種のことを話題にしていたのを思い出した。
吉川英治の豊麗な、肉感的な、南国色の娘たちを丸尾流に言えば「やや脂肪質の、極度に曲線的で、ヴォリュウムがあって、性的なエネルギーを発散している多産型の肉体」となる。
いっぽう太夫鹿の子の腰帯に、裾を上げて花結びにタラリと垂れ、柳に衣装をかけたようななよやかさを丸尾は性的なエネルギーは稀薄で、乳房も小さく、ヒップにもセクシーな魅力はないけれど「見るからに清潔であり、清楚であり、知的な印象を持つ肉体」と表現する。
そのうえで日劇ミュージックホールの総帥は前者の典型として伊吹まり代とジプシー・ローズを挙げ、後者のそれを小川久美とし、その中間に位置しているのが小浜奈々子と述べている。(『女体美』昭和三十四年、五月書房刊)
『鳴門秘帖』は江戸時代中期、十八世紀半ばの物語で、奈良時代の吉祥天女のころはいざ知らず、仮に作者の記述が当時の男の「女体美」に向けたまなざしをそれなりに示しているものだとすれば、丸尾が採りあげた昭和三十年代の男たちの視線に通じている。