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2012年 04月 05日 ( 1 )

消えた名所

a0248606_10582546.jpg 日劇取り壊しを機に書かれた矢野誠一「日劇花の五十年」(「文藝春秋」一九八一年一月号)に五階の小劇場のあゆみが記されている。劇場の概観に便利なので引いておこう。
〈もともと、日劇附属の小劇場として併設されたこの小屋、敗戦直後は芝居を上演して、『東京哀史』『鐘の鳴る丘』といった菊田一夫作品や、俳優座の『壊れ甕』、空気座の『肉体の門』など話題作をうんだ。日劇ミュージックホールと改称されたのは、一九五二年で、第一回公演の『東京のイヴ』には、先日逝った越路吹雪も出ている。もっとも、これは記録的な記録的な不入りであったという。サラリーマンや学生の支持をうけ、いまやパリの「クレージーホース」とならぶ世界の名所との評価も高いが、メリー松原、ジプシー・ローズ、奈良あけみ、小浜奈々子、アンジェラ浅丘と、あの小さな舞台に花咲かせたひとたちをしのんでいるときりがない。〉
 おなじく著者は日比谷に移ってからの公演パンフレットに寄せた「舞台にも時の流れ」という一文で、やがてくる高齢化社会のショービジネスを視野に入れて「もし二十年先の老人たちが、相当の経済力を有しているとすると、空前の老人黄金時代ということになるわけだ。そんなとき、あの日劇ミュージックホールの旧式エレベーターをなつかしがるような大勢の老人客たちを十分に満足させられるショーをつくれる若い才能が、まったくなくなってしまっては困るのだ」と書いている。その後の事態は矢野の心配を杞憂としなかった。日比谷のミュージックホールは日劇時代の隆盛には及ばず二十年後どころか開場してわずか三年の一九八四年三月に閉場してしまう。
 一九九八年に出た川本三郎『続々々映画の昭和雑貨店』には「消えた名所」のひとつとしてミュージックホールが紹介されている。ついでながら時代とともに消えていった庶民の娯楽の場所はといえば・・・・・・。
 ローマ風呂と称された大浴場が名物だった船橋ヘルスセンター。「トルコ風呂・温泉のデート」として三原橋脇にあった東京温泉。日劇の隣にあった朝日新聞社。昭和三十年代までは有楽町界隈は朝日、毎日、読売が集まる新聞街でもあった。昭和九年に来日したベーブ・ルース、ゲーリックらの一行が全日本と試合した横浜平和球場。ドーム球場となるまえの後楽園球場、ナゴヤ球場。昭和二十七年渋谷の東横屋上にできたゴンドラ式ケーブルカー「ひばり号」。 
(写真は日劇会館最後の日の舞台。昭和56年1月26日。石崎勝久『裸の女神たち』より)

by yumenonokoriga | 2012-04-05 08:52 | Comments(0)