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2013年 02月 25日 ( 1 )

五月美沙、そのデビュー

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 「先生、ぼく、来月からここに出るの」
 「ぼくでも大丈夫だろうね」
 「決まってらぁ。アンジェラ(浅丘)の次にはいけるさ」
 「うれしい!ぼく、ゆうべ眠れなかったんだ」
 滝大作「チューリップは消えた」で、五木マヤは日劇ミュージックホールに泉和助を訪ね上の会話を交わす。ここのところで五木マヤのモデルが知れる。
 自分を「ぼく」という女の子については石崎勝久『裸の女神たち』で以下のとおり記述されている。
 〈「ボクね、踊ってるのが、楽しくて楽しくて仕方がないの」
 美沙は、自分のことを、男の子のようにボクといった。それが清潔な感じで、いかにも美沙に似合った。あだなは「ボク」または「ボクちゃん」とつけられて、楽屋でも人気者の一人になった。〉
 美沙すなわち五月美沙である。
 はじめ渋谷のテアトルSSというストリップ劇場で踊っていた彼女をミュージックホールに引き抜いてきたのは橋本荘輔プロデューサーだった。ここのストリップ劇場、あそこの演芸場とスター候補を探すのに躍起になっていた橋本がとうとう見いだした童顔、可憐なヌードだった。
 引き抜きに遭ったテアトルSS側は反発し、一時はもしかすると血の雨も降るかといった不穏な事態だったという。引き抜きは橋本プロデューサーが独断で行っており責任者の丸尾長顕は外国にいて知らなかった。
 帰国した丸尾は事態収拾に走った。その結果、金銭トレードのうえ、はじめの二か月はミュージックホールが借り受け、そのあと専属にするというかたちで話がついた。
 ミュージックホールへのデビューは一九六四年(昭和三十九年)五月九日から六月二十九日にかけての「かわいい唇は嘘をつく」だった。『the Nichigeki Music Hall』公演リストではトップにアンジェラ・浅丘、次いでK.みなみと島淳子、そのあと当時十九歳だった五月美沙の名前が見えている。
 「チューリップは消えた」で滝大作は彼女が泉和助に挨拶にきたのを「記憶によれば、たしか昭和四十年の夏ではなかったろうか」としているが、記憶は一年ほどずれていたことになる。

by yumenonokoriga | 2013-02-25 11:02 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)