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2013年 05月 20日 ( 1 )

古書店めぐり

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 本コラム「夢の残り香」の通奏低音は「物一たび去れば、かへることなし。かへらぬものはなつかしからずや」(永井荷風「偏奇館吟草」)といったところか。前向きがもてはやされる世の中であるが後ろを向かないと日劇ミュージックホールの面影はなく、残り香も匂うことはない。そこで折りを見ては古書店へ行き夢の破片などないものかしらと探す。後ろ向きの人間には失われたもの、懐かしいものを拾い集めるよろこびがある。
 二十年ほど前に神保町の某古書店で丸尾長顕編『日劇ミュージック・ホールのすべて』を見かけたときは書名のみ知る本をはじめて目の当たりにしていささか興奮気味となった。一九六四年(昭和三十九年)に美研出版から刊行されていて、そのときの値段は三百六十円。新書版よりやや横に広く表紙カバー以外はすべてモノクロ写真で、当時は小浜奈奈子、アンジェラ浅丘がトップスターの時期だから二人の舞台写真を中心に編集されている。おそるおそる古書価格を見ると四千八百円。
 古書店で掘り出し物を見つけたときはうれしい。まして値が安ければ文句なし。たとえ掘り出し物ではあってもまったく手が出ない値段ならあきらめはつく。四千八百円は一流の投手がコーナーぎりぎりのところを衝いてきたような値付けと思われた。もちろんわたしは財布に手をやった。  
 そのすこしあとでおなじ古書店のショウウインドウに淀川長治編集長時代の「スタア」や『エイゼンシュテイン全集』などとともに初期の日劇ミュージックホールのパンフレット十数冊が六万五千円で置かれていた。古書趣味は値打ちのあるものを安く買ってこそ満足が得られるのだ、金にまかせてめぼしいものを漁るなんてわが流儀にあらず、バブル期の日本企業の土地買占めを連想させて下品であると口惜しさにまぎらせて店をあとにしたけれど、ひと月ほどして立ち寄ってみると既に売れてしまっていて、後悔の念はなかったといえば嘘になるが、それよりも世のなかにはたいへんなマニアがいるんだなあと感嘆久しうした。
 六万五千円はいくら貧書生の当方であってもなんともならない金額ではないから、二度とお目にかかれるかどうかわからないパンフレットのために用意しなかったのはマニアとしての熱心さに欠けているといわれてもしかたがない。よくいえば狂気にはまってはいないということになろうが、趣味人の尺度では失格の烙印を押されそうなわが志の低さではある。

by yumenonokoriga | 2013-05-20 09:34 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(0)