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2013年 11月 10日 ( 1 )

『秘戯』

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 『楢山節考』で作家として一本立ちした深沢七郎は、そのあと師とした丸尾長顕との関係に間隙が生じたこともあり日劇ミュージックホールとの縁も絶った状態にあった。
 嵐山光三郎『桃仙人 小説深沢七郎』で深沢は「マルオなんてやつは、ろくでもないやね。先生づらして偉ぶるやつでね。もしかしたらマルオに会うじゃねえかと思って、それでここへ来たくなかった」と率直な気持を口にしている。ともあれこのときのミュージックホール再訪は丸尾と義絶して以後に深沢が持ったこの劇場とのかすかな接点だった。昭和四十七、八年ころの話である。
 接点といえばもうひとつ深沢は昭和四十六年に東向島に開店した今川焼の夢屋にちなむ夢屋書店を設けていて自作の『秘戯』を刊行している。新海均『深沢七郎外伝』と石田建夫『戦後文壇畸人列伝』によれば、和綴じ、全ページ上辺と天の部分に初期の日劇ミュージックホールのスターだったヒロセ元美の口紅を塗った唇の跡形をあしらっていて、その皺までもがくっきりと印刷された稀覯本である。江戸時代の遊女の恋文に倣ったとされる装丁は深沢がギタリストとしてミュージックホールに出演したときの名前、桃原青二を用いている。
 三島由紀夫『天人五衰』(『豊饒の海』第四巻)が新潮社から刊行されたのが昭和四十六年二月二十五日で、石田前掲本によると三島の遺作は定価五百八十円だった。『秘戯』の出版はこれに先立つ一年ほど前で定価千五百円の注文販売だが、これでも採算度外視の価格だっただろう。
 ミュージックホールを去って久しい深沢だったが『秘戯』にはヒロセ元美との協力関係が見えている。深沢が嵐山光三郎とともにミュージックホールを訪れたときヒロセ元美は振付スタッフとして参加していて「おじさん、ひさしぶり」と深沢に声をかけている。このとき深沢が丸尾との再会のリスクを危惧しながらもミュージックホールへ足を運んだのはそこにヒロセがいて、一年余りまえの『秘戯』のルージュが思いあわされてのことだったのではなかったか。
(写真の「秘戯」はネット上の私家版「エレクトリック楢山節」第7回 深沢七郎を偲ぶ宴 2010年12月29日より引用させていただきました。)

by yumenonokoriga | 2013-11-10 09:44 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)