
なかに、ある会合で、松永てるほが周囲に聞こえる声で「わたしを裸にしたのは、この人よ」というくだりがある。NDTに在籍していた松永てるほが退団してミュージックホールに移ったのは昭和三十年代末のことだった。てるほが口にしたように、この移籍については吉行の影響があり、「踊り子」にはそのときのいきさつが述べられている。
はじめて吉行が丸尾長顕の紹介でてるほに会ったとき彼女はまだNDTの団員で、ミュージックホールには他のメンバーとともに「セクシー・ファイブ」というセミ・ヌードのチームで客演していた。そのことをてるほが吉行にいうと、吉行から「あそこでセミ・ヌードなんて中途半端でよくない。ヌードになっちゃったほうが、ずっときれいだよ」との言葉が返ってきた。てるほは、それで脱ぐ決心をしたと語る。
これに対して吉行は次のように述べている。
〈つまり、私の言葉が決心をかためる一つの要素になったことは確かであるらしいが「裸にした」わけではない。戦後二十年経っていたその時期でも、そういうときには女は悩むし、その事情は現在でもほぼ同じであろう。世の中にヌードは氾濫しているが、そのすべての女が、あっけらかんと裸になっているわけでもあるまい・・・・・・。〉
松永てるほの転身については橋本与志夫『日劇レビュー史』にも記述がある。
〈或る時「ブラジャーをつけてヌード劇場へ出ているのでは、刺身のツマに過ぎぬではないか」といわれて発奮「ようし、それなら刺身になってやると転身を決意したというのだ。〉
刺身のツマ云々も吉行淳之介の言葉として聞いたおぼえがある。
『日劇レビュー史』には松永てるほとおなじくNDT出身のヌードダンサーとしてパール浜田、サリー宮川、ミッチー原、島崎魔子、沢美奈、三笠比与子、谷佑子といった名前が挙げられている。
# by yumenonokoriga | 2012-02-10 09:13 | 日劇ミュージックホールの文学誌 | Comments(2)